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靖国神社と慰霊について思うこと

8月6日に戦争の事を書きました。そこで、小泉首相の靖国参拝についてもふれました。

 先日、毎日新聞を読んでいると、私と同様のことを書かれている記者の方がおられました。結局、靖国参拝について私が違和感を感じるのはこのことなのです。

 「不戦の誓いをするのにふさわしい場所なのか?」これです。

 多くの兵士が戦死しました。確かに苦労されたと思います。職業軍人もいたでしょうし、民間人が沢山の徴兵されました。国家総動員法が施行されてからは国民全体が戦争体制になっています。

 戦争末期に何があったでしょうか。

 国、軍は補給のあてもない無謀な戦場に多くの兵隊を送り込み、若い命を消耗品のように扱いました。また、子供に対しては国のため命を捨てることは名誉であり、生きて国のために働くことよりも尊いとする軍国教育をしています。

 サイパンでは多くの民間人が自決を強いられ、沖縄でも民間人が軍の盾にされ、軍人と同じように自決をせまられ、広島、長崎では原爆という国際法にも違反するような民間人の大量虐殺が行われ、さらに神戸や大阪、東京など日本中の大都市には焼夷弾が降り注ぎ多くの人が火の海を逃げまどい、焼け死にました。

 靖国神社に参拝する国会議員等の発言の中には、「今の平和の日本があるのは、靖国に眠る英霊のおかげ」という主旨のものがあります。しかし、今の日本があるのは、軍隊だけが苦労していたわけでないのです。今の平和は国民全体の犠牲や苦労、そして戦争というおろかな行為に対しての反省があったからではないでしょうか。

 慰霊の施設をつくるという話もあるようですが、軍に属した人のみではなく、全ての戦場となった地域でなくなった国民全体を慰霊する施設にすべきだと思います。

戦場で、軍人として命を落とした人と同じ戦場で軍に協力させられ民間人として命を落とした人。一方だけが特別視されるのはおかしいのではないでしょうか。個人が特別に祀ることに疑問を感じません。しかし、国が特別視した時に、きな臭いものを感じます。また、何か良からぬ方向に私たちを導こうとしているのではないかと。

追記

 戦後60年、国の指導者の過ちから起きた戦争を体験を通して反省できる方が減っています。平和を支えた年代とも言える方々が減る中、自衛隊が米軍に協力し、有事立法が作られ、核武装論が見え隠れし、憲法9条の見直しが論議されています。平和に危うさが再び訪れている気がしてなりません。

----以下記事一部抜粋------------------------

毎日新聞 2005年8月16日  記者の目:戦後60年、「小泉翼賛政治」の亡霊=牧太郎(社会部)

 日中戦争開始(37年7月7日)から終戦までの8年間で約310万人の日本人が死んだ。

 小泉首相は、その重みを知りながら「靖国」を“おもちゃ”にしている。「不戦の誓いのために参拝する」と言い張った。靖国は「不戦を誓う場所」にふさわしいのか。東京招魂社の昔から、靖国神社は「天皇が行う戦争は聖戦」と信ずる原理主義の社だ。祭られているのは、お国のために死んだ人であって、戦争の犠牲になった一般市民ではない。中国や韓国はA級戦犯合祀(ごうし)を問題にするが、参拝の是非は日本人の意思で決めることだ。僕が批判し続けるのは、民間人を祭らない原理主義である。

 戦争は感情に「道理」が負けた時に起こる。
 

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