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竹を割るということ

竹を割るとき、いつも心の片隅にあることがあります。

竹籠の展覧会を見に行った時のこと。その会場で、ある竹工芸家の話のビデオが流れていました。その工芸家が若い頃、近くに来ていた高名な竹工芸家をたずね、自分の作品を見てもらいました。自信を持っていたのですが、酷評されてしまいました。その時、高名な竹工芸家は若い竹工芸家にこう言ったのです。

「竹は鉈で割るのか。竹が割れるのか。君が竹を割るのか。…それを意識しないでやるならやめた方がいい。」

また、本で読んだのか、テレビで見たのか忘れたが、竹籠職人の人が竹を割ることについてこんな話をしているのを聞いたことがあります。

「鉈はきっかけにすぎない。竹が割れていくのを助けているだけ、無理に割ろうとすると、竹が言うことを聞かず、ケガをする。」

高名な竹工芸家も竹籠職人が言うところの本当のところはよく分かりません。「竹の心を知れという事」なのでしょうか。どちらにしても、竹を割るときは、私もこれらのことを自問しつつ竹と対話するように心がけています。

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コメント

よく、「籠職人の指先には目がついている」
なんてことも聞きました。

青竹は、6~7mの長ヒゴを取るのが特徴ですが、
私の師匠は、近所のばあちゃんと世間話を
しながらも、顔を上げて手元を見ずに長ヒゴを取ってました。

よくヒゴとりは基本と言いますが、
竹の心なんて難しいですよねぇ・・。

私の尊敬する宮崎の90歳の籠職人は、
「俺はいつも竹がどんな籠になりたいかを考えちょる」
なんておっしゃってましたけど、
私にはまださっぱり分かりません。

投稿: 水俣のカゴ屋 | 2006/01/16 23:25

”ヒゴを作る”ではなく”ヒゴをとる”というのですね。そちらの方がより竹に近づいた自然な言い方なので私も使いたいと思います。

「竹がどんな籠になりたいか考える」ですか…深い言葉ですね。
 でも、私の場合、作れる籠の種類がしれていますので、竹の気持ちが分かっても、それにそえないかも(笑)。
 達人の言葉には何かコツが隠れていると思うのです。この言葉も心しておきます。

私がヒゴを採るとき、(いや、まだ割ってるなぁ)はもう集中してないと節で折れたり、幅が細くなったり太くなったりで、疲れてしまいます。まだ手が覚えていないのですね。あと厚さも覚えていません。時々、マイクロメーターではかっては手で感触を確かめています。

まだまだ、入り口にたった状態。

投稿: 幸雲 | 2006/01/17 22:25

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