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廃れる文化

 今日は、エイプリル・フールだったんですね。花咲爺さんのブログの記事を読んでいて、久し振りにその言葉を思い出しました。
 花咲爺さんの記事のコメントにも書いたのですが、エープリル・フールって最近はあまり言いわなくなったように思います。それだけ世間に”ゆとり”というか”遊び”みたいな部分がなくなったのかもしれません。それが社会の息苦しさみたいなものに繋がっているような気もします。世間に吹き荒れる”効率化”の嵐でそんな”ゆとり”も削り落とされたのかもしれません。”儲け”にならない無駄口ですからね。嫌な世の中です。

 さて、もう一つ、ここに「エイプリル・フールだよ」っと笑って欲しい話を今日聞かされました。私がお世話になっている竹細工の教室があるカルチャーセンターが本年12月を持って廃止されるというのです。寝耳に水とはこのことです。新聞社系のカルチャーセンターだったのですが、独立した株式会社だそうです。経営不振で教室の統廃合となったそうです。ここにも”効率化”の嵐が吹き荒れていました。

 この話を聞いて、先生は「文化的な事を株式会社で行うのは無理があるのか」というような感想をこぼされていました。本当にそうなのかも知れません。エイプリル・フールに象徴される”社会のゆとり”が効率化で削ぎ落とされているように思います。カルチャーセンターのセンター長の方は生徒の減少が原因ともおっしゃっていました。もしかして、社会に個人の文化的な活動を阻害する要因が発生しているのかもしれません。
 阻害する要因としては、”社会的なゆとり”を効率化の名のもとに削り取ったため、文化的活動のための時間的、金銭的な制約が生まれたと考えられます。また、行きすぎた資本主義の考えからすれば、個人が文化的教養をつける事は”金儲け”から遠い位置にあるため、無駄な活動なのかもしれません。そのため、現役世代がカルチャーセンターに通えば「暇な人」あるいは「怠け者」と見なされるのかもしれません。

 仕事とは関係のない教養をつけることは、人間の幅を養うと思うのですが休日の教室ですら若い世代を見ることはあまりありません。いくら経済大国になったとしても国民の文化的なレベルが下がっていては日本の未来も怪しいものです。江戸末期の文化は庶民の力で発展しました。しかし、現在の日本の文化とはなんなのでしょうか?国民が文化的教養を涵養してこそ、文化的な国にもなるのでしょう。手軽な教室であったカルチャーセンターの廃止が相次いでいます。(妻も通っていた百貨店系カルチャーセンターが廃止という憂き目にあいました。)庶民が文化・教養を学ぶことに対して、社会(国?)の冷たさを感じずにはいられません。

 こんな、理屈をこねながら、カルチャーセンターからの説明がエイプリル・フールといって笑ってくれたらどれくらいうれしいことか・・・。
 教室の会食がありました。とても楽しく過ごしました。廃止の話さえなければもっとよかったのに・・・。こんな楽しい教室がずっと続けられたらいいのになと思いました。

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コメント

ども~!(^^)/
>仕事とは関係のない教養をつけることは、人間の幅を養うと思うのですが休日の教室ですら若い世代を見ることはあまりありません。いくら経済大国になったとしても国民の文化的なレベルが下がっていては日本の未来も怪しいものです。

ん~σ( ̄^ ̄)も同じように感じます。
自分自身の将来を思うと、退職後の生活設計に ”不安” が一杯ですけど、それでも ”今” という時を、何らか夢中になれる楽しみを持ちながら気持に ”ゆとり” を持たねば・・・って思うんです。
ま、なるようにしかなりませんし・・・/(^ ^;)

投稿: 花咲爺 | 2007/04/02 22:03

花咲爺さんコメントありがとうございます。
ゆとりは大切ですね。忙しいとつい忘れてしまいますが、これがないとストレスがたまって仕方ありません。アルコールに弱い私は、職場からの帰りに駅の喫茶店で飲むコーヒー1杯が仕事モードのオンとオフになっています。でも、勤務時間が少し変わって時間が取りにくくなってちょっと悔しいです。上手に時間をつくらねば・・・。

投稿: 幸雲 | 2007/04/04 22:42

効率ばかり追い続けた結果が、良くも悪くも今の社会なんですよね。
どんな社会なのかは新聞テレビを見れば説明の必要は無いでしょう。

効率を追い求め不効率を改善して得られるはずのゆとりは一体どこに行ってしまったのだろうと言うことです。
不思議な話です。

投稿: ばんみ | 2007/04/05 22:23

ばんみさん。コメントありがとうございます。
本当にそうですね。効率化した時にでるゆとりは、結局ゆとりではなくさらに忙しくなっていくことが求められているのでしょう。携帯電話のない時代は仕事で外にでもて、呼び出しもなく自分のペースでいられてゆとりがあったし、新幹線がなければ出張も泊まりでゆとりもあった。結局、世の中が便利だともてはやすものが現れると、労働者として見ると忙しく一息つくことなく働かされる環境が1つ増えたということなのでしょうね。

投稿: 幸雲 | 2007/04/05 22:54

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