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終戦日記(昭和20年8月5日)

 日々激しくなる空襲と、戦前の様な暮らしが崩壊する中での無力感、もとの暮らしと同様を求めるから苦しくなる。そんな思いも書かれています。少なくなる配給。比較的豊かだった大佛氏の家の食料も厳しくなっている。義勇隊と称して軍に山のあちこちに穴を掘らせる労働をしいられていることへの不満。軍の腐敗。激しくなる空襲。あきらめ。戦争末期の状況です。

(この記事は抜粋、要約しています。)

8月5日日曜
この夏の鎌倉海岸は海水浴禁止となる。煙草は1日から配給日に3本。僕らの努力はこれまでの生活をどうつなぐかと云うことだけにかかっている。12時近くから小型機の編隊。空襲警報がでている。
義勇隊の無法な不条理を怒ってもどうにもならない。各機関とも目前の必要にきりきり舞。明瞭な末期の形相。義勇隊は下から盛り上がって活動しているものではなく、徴集であり、肉体労働をしている。この苦痛と闘ってみるよりほかない。
高射砲声聞こえる12時35分
庭の胡瓜も少なくなり、午後は馬鈴薯ばかり。副食になるものがない(有る方のこの家で)

鎌倉駅で老婆の乞食が死んだ餓死ではなかった。京都駅なども乞食の巣。市中の芥溜が無くなったらしい。現在の配給状態では残飯も芥も出ぬ。旅客が弁当の食い残し新聞紙についた米粒までむさぼるので、飯を喰い出すと側に来て座り込み分けてくれという。男女ともにいる。横浜駅でも同様。

陸軍の准尉で輸送機の機長している者、台湾で一流の芸者を妾としている。宮崎の新田原にも女を囲い、妻を足利に疎開させている。便乗希望者から一名千円ぐらい取っている。台湾で10kg3円某の砂糖を内地に運べば1貫目千円近くなる。それ故の勢力。何とかして乗りたい人の弱みが金になる。外では皆が悪口をいうが、RCAのラジオが欲しいと云えば人の往来が多い会社は融通をつける。軍人の腐敗が全部の失敗の原因だったと内田大使が密かに漏らしたという。

特攻隊で二階級進級した者、不時着してルソンでいきていた。自爆したことになっており、帰還の望みなく部隊の残飯給与で生きている。当人は死ぬ機会を求めているという不憫な状況。宣伝せられた特攻隊の裏面にある悲劇。数名いるとのこと。死者であり戸籍もない。気の毒である。

警報出て9時帰宅。大編隊のB29。前橋高崎渋川に焼夷弾集中投下。150機。中部以西の各地にも同時に敵襲。宇部今治が大がかりにやられた。この日一日で本土進入した敵機の総数は千数百機。九州も連続的に毎日何百機。こういう日々というのは我々でさえはっきり飲み込めぬのだから、後世の平和の時代の人々には想像もつくまい。
死の天使は急遽襲い来たり、短時間でまた風が落ちたよう後のように静かな日常に戻る。人間は兎に角生き続けていくのである。無惨にぷつと切られるまで。

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コメント

つい60年ちょっと前にこの国で起きたことのはずなのに当時のことを想像するのが難しいのは、完全に今の満たされた世の中に浸ってしまっているからでしょうか。これではいけない、と思いながらも、なかなか現実味を持てません。その意味でこの時期、お盆と相まったこの季節を大事にしないといけないなと思います。ありがとうございます。

投稿: 竹マニア | 2009/08/07 22:15

竹マニアさん。コメントありがとうございます。
随分と昔のことと、思いがちですが、60代半ば以上の人にとっては、昔ではなく実際に生きてきた時代です。つい昨日の事のように記憶として生き続けているのだと思います。それは、若い人も子供の頃を思い出すのと同じです。そう考えるとそんな遠い時代の話ではないのです。世代間で分断した時それは、大昔の出来事でも社会全体として考えればついこの前の事。国や軍の視点からの歴史だけではなく、庶民が何を考え、なぜそう言う行動をとっていたかということを照らし合わせて歴史を考えることが平和を考えていく上で重要だとだと思います。

投稿: 幸雲 | 2009/08/08 00:11

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