« 終戦日記(昭和20年8月6日) | トップページ | 衆議院選挙に思う »

終戦日記(昭和20年8月7~8日)

 大佛氏は8月7日の時点で知人の情報からほぼ正確な情報を得ている。8日に漸く新聞の朝刊に大本営発表が載る。「例の如く簡略なもので、「損害若干」」のみで革命的新兵器が登場したことを国民に伏せているという。
大佛氏は「本土作戦を呼号し、国民を奴隷にして穴ばかり掘っている軍人たちはこれにどう答えるか見ものである。部外の者を敵視蔑視して来たことの結果がこうも鮮やかに現れて、無感動でいるのが軍人なのである。」と軍に対して不満を述べている。
このころになると、敵機の進入に対しても日本軍は無抵抗。市民は布団を物干し竿にかけて機銃弾を防ぐという防御を行っている。

8月7日
雲一つなく晴れ、燃えるような空あり。10時近く警報発令。昨夕から水道がとまって今も出ぬ。P51三〇機が分散小編隊となり差が相模湾を旋回中と有り10時36分。布団を洗濯干棹にかけて機銃弾の障壁とする。敵機が悠々としている位置が判明していても味方は何もしない。そして国民はその無抵抗ぶりに諦従するように慣らされている。

来客から広島に敵僅2機、投下した爆弾が原子爆弾らしく2発で20万の死傷者。死者12万というが呉からの電話のことで、詳細は不明。トルウマンがそれについてラジオで成功を発表した。10日か13日に東京に用いるというのである。他の外電は独逸の発表に依ると云っているが、米国側では1941年からの研究が結実したと発表している。
大きな事件で閣議か重臣会議が急遽催されたが結論を見なかったそうである。次の効果を見てからのことに成るのだろうが、ロッキー山研究所のウラニュウムが物に成ったのだとしたら由々しいことで、戦争が世界からなくなるかも知れぬような劃期的の事件である。空想的な科学小説が現実のものとなり木っ端の如くこの命を破るわけであった。

別の知人に電話をかけて確かめるがよく知らなかった。火炎が1粁上り2キロ離れていて人が飛ぶくらいの威力が有る物という程度で投下せられたのは飛行場だという。どちらが真実かはわからぬが革命的に有力なものだということは疑えぬ。

自分たちの失敗を棚に上げ、本土作戦を呼号し、国民を奴隷にして穴ばかり掘っている軍人たちはこれにどう答えるか見ものである。部外の者を敵視蔑視して来たことの結果がこうも鮮やかに現れて、無感動でいるのが軍人なのである。話が真実ならば、国民は罪なく彼らとともに心中するのである。くやしいと思うのは自分の仕事がこれからだということである。

8月8日
広島爆撃に関する大本営発表が朝刊に出ている。例の如く簡略なもので、「損害若干」である。今度の戦争でV一号とは比較にならぬ革命的新兵器の出現だということは国民には不明のまま置かれるのである。来客(雑誌社)から他の作家の話、本の疎開の件で記者が談話を取りにいったら「僕は死ぬ覚悟をきめている。が、今の軍人や役人と一緒に死ぬのだと思うと如何にも悔しい」と云ったという。

配給を日割りにした。4人で米が一日三合半、馬鈴薯数個に大豆。

正午のラジオも広島に触れず、小型機の持って来るロケット爆弾がそうたいした威力のあるものでないという説明。警戒は必要だが安心しろというわけである。
過日北鎌倉で電車が機銃掃射された時、保土ヶ谷トンネルを出たところで小型爆弾を落とされ十数名かの死者あり。昨朝浅川近くで銃撃17名の死者を出したと知人の話。
別の知人は大阪からの帰り御油で汽車5時間立ち往生、浜松が艦砲射撃を受けていると知る。今後はもっとひどくなりほとんど移動が不可能となるだろう。

おまけに1機1弾で10万人の死傷者が簡単に出ることになったのだから寧ろ壮大な時代である。広島へ専門の技師が急行したというが、また東海道が漸く通じたとはいうものの状況しだいで無事につくかいつつくかという話で緩慢なことである。

この家では敵機が撒いた電波攪乱の錫の紙片を台所の蠅よけにつるした。光の反射が壁に水の影のように動いている。その下で平素の如く暮らしている。外の世界に向かっては腹を立て続けだが家の中は平和である。

新型爆弾に対する注意の放送があった。一機来ても必ず壕に入ること、高熱を発するから躯を露出させるな、掩蓋が必要だがない場合は布団でも毛布でもかぶること。はなはだ平凡。
夕方から60機ばかりのB29が入って来て帝都北部から東方に抜けた。どこをやったのかは例によって不明。

|

« 終戦日記(昭和20年8月6日) | トップページ | 衆議院選挙に思う »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/41440/45910859

この記事へのトラックバック一覧です: 終戦日記(昭和20年8月7~8日):

« 終戦日記(昭和20年8月6日) | トップページ | 衆議院選挙に思う »