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戦争考

毎年、8月には戦争の記事を書くことにしていたが、今年は終戦記念日をすぎてしまった。課題としていた本があったのだが、読まずに過ごしてしまった。そこで、新聞の特集記事やドラマを見てみて感じたことを書く。

戦争についての話題になるのは、おおよそ次のようなものだろう。
・靖国神社の問題。
・中国や北朝鮮による危機感をあおり軍備強化や憲法改正を叫ぶナショナリズム的なもの。
・理想主義といわれる平和主義。
・特攻など日本軍が戦意高揚のため美化したイメージをそのまま信じ込んだ情緒的な崇拝。
・数少なくなった戦争体験者の体験談

私が特に戦争について考える時、関心があるのは、当時の国民の生活。国民が戦争を本心ではどういう目でみていたのか。戦争に突き進んでいく時代の雰囲気。過程についてである。それは生活者としての一国民の体験談から当時の社会と今生きている社会を近づけて当時を感じるということである。

たとえば、ナチスが台頭したのは、軍事的な行動での独裁ではなく、国民の選挙によって政権をとったということ。その政党が戦争に突き進んだということを考えれば、選挙の際に政治家がどんなことを言っているのかが気にかかる。

「勇ましい」ことを言っている者ほど「怪しい」という冷めた目で見る必要がある。また、戦時中の体験談では、軍隊内や学校や地域の戦争遂行の指導的立場にある人が、「勇ましさ」を説いていたにも関わらず、敵襲があった際真っ先に避難するという話も多々語られる。「勇ましい」事を主張する人が本当に勇ましいとは限らないということでもある。

沖縄戦の際にも、日本軍は島民を守らなかった。毎日新聞に掲載されていた兵士や島民の回想によると、島民が避難していた壕を軍が使うと言って追い出したり、足手まといになると見捨てたり、米兵に見つかるのをおそれた兵隊が子供を殺せと命令したという話が語られていた。いよいよとなると軍は国民を守らないと言うことだ。

この夏のNHKの終戦特集ドラマで「15歳の志願兵」というのがあった。愛知一中の生徒が「海軍の甲飛予科練修生」に全学年が志願したという実話に基づく話である。ここに戦争に突き進む一つの雰囲気があった。当時の中学はいわゆるエリート候補だ。軍は特攻隊員の志願者数ののノルマを学校に割り当てた。教師たちはどう手を挙げさせるかに苦悩する。軍から派遣されている将校が、時局講演会を提案。戦地の経験のある先生や将校が戦意を高め、国のために命を捧げることを説く。やがて、生徒の指導部が全学年全員が志願することを表明。生徒集会を開きそれぞれの思いを語る。そしてお前はどうだと意見を述べさせる。戦争に批判的なことを言う者は、「非国民」と非難され攻撃される時代である。最後に、「志願するものは立て」との声に多くの生徒は立つ。一種の熱狂が包む。戦争は遠いところの事と感じていた気の弱い主人公もその場で最後には立つ。
皆、純粋であるがため、大人たちの言う、命を捨てる事が国のためと信じる。親たちへの説明についても校長は「私の息子も戦地に行っている」という。少々の理由では反対できない。
主人公は、入隊の際の身体検査で視力不足で落ちる。その時「落ちるために嘘をいうな」と一喝される。嘘ではないと主張する。身体検査で落ちるもの、志願を取り下げたもの、検査にこなかた者がおり、最終的には6名だけが入隊した。その中に文学を志した友人がいた。
その2ヶ月後に戦争が終わる。その後数年して、友人の母親から友人の日記を見せられる。そこには、入隊が決まった日、すべての夢を主人公と夢を語り合った、あの川に流した。そして考えることをやめたとあった。

この思考を止めると言うことが戦争中に多くあったのではないかと思う。軍隊に入れば上官からの私的制裁により服従を迫られその結果思考停止する。実際そうしなければ戦場という非日常の世界では生き抜いていけないのだと思う。

国内においてもこの思考停止という状態はあったのだろう。ドラマの中にでてきた戦争に批判的な事をいえば、「非国民」と非難し、その生徒を暴力により制裁する。その様子は、やはり世相を反映しているのだろう。戦争や戦況についての分析や批判することをやめ、命を捨てれば勝てるという「思考停止」である。本心はもうだめだと思いつつ、世間の「思考停止」の風潮にあわせるように「日本は勝つ」と表向きはいう。

さて、このドラマの状況は戦争中だけの話といえるだろうか。私はそうは思わない。日本人の中に未だに存在する心理である。それを意識する必要がある。たとえば、「いじめ」問題もこの心理が反映している。みんなと同じ事をしなければいじめられる。だから言いたいことを言わず、流れに身を任せる。ネットでよく問題とされる匿名をいいことにした個人攻撃。これも、みんなが攻撃しているから自分もいう一種の熱狂であり思考停止の状態と言える。。

先にあげた、ドイツでも当初のナチスの快進撃に国民は熱狂した。やがて戦況が不利になるとナチスは国民の批判を避けるため、ユダヤ人の弾圧を開始し、国民は隣人の監視を強めていくのだ。社会の熱狂に流されるのは日本人だけではなく人間に共通したものなのかもしれない。

現在においても、一歩間違えば戦中の状況に再び陥る火種は今もくすぶっている。歴史の教科書や、軍隊の美化、扇動する風潮、また単純なナショナリズムという単一の視点ではなく、多くの視点から歴史をみておく必要がある。思考停止に陥る事なく、熱狂に陥る事なく冷静な視点が必要だと思う。それが「思考停止」状態に陥っていないかを自ら冷静に見つめられる力をつけることになるのだと思う。

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