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竹工芸の継承・革新(講演概要)

展覧会に併せて行われた講演会の概要を紹介します。私のメモによるものです。先生に内容確認を受けていない物であるため、内容に誤り、話の意図の誤解釈がある可能性があります。全てメモ出来ていません。その点ご了承お願いします。

講演会「近代竹工芸の革新者たち」
日時:9月16日(日)13:00~14:30
講師:東京国立近代美術館工芸課主任研究員 諸山正則氏

自己紹介を兼ねて
60年から70年頃、日本の工芸が動いた時であった。色々な工芸が出てきた。(近代化の取り組みがなされた)。82年にはそういう人が揃っていた。そういう工芸を動かした人達がいた最後のぎりぎりの時代に美術館に入って研究を始めた。

・海外で評価が高まる竹工芸
日本の工芸は海外から高い評価を受けているものの、今日の工芸は停滞期に入っている。
話題も多い。作家が海外で活躍している。
竹籠はロイド・コッツェンのコレクション1千点以上あり、サンフランシスコのアジアミュージアムで定期的に公開されている。
その後も、世界中に評価が広まっている。
ボストン美術館にも竹工芸品が収蔵されている。

2007年大英博物館で技の美という展覧会の監修に関わった。
作品だけではなく、高いレベルで技術が継承されてきたことの特殊性が評価出来るということで大英博物館が取り上げた。
このように海外での関心は高い。

日本の工芸のすばらしさを伝えていきたいしそのことを伝えていきたい。

・作家の作品紹介

 主たる作家の作品を紹介していく。

 早川尚古斎初代は幕末から明治の早い時期に活躍。作家と言うよりも籠師。美術品というよりも、職人的な仕事をしていた。しかし、注文を受けた物を作るだけではなく、自らこんな作品を作りましたとって売り出すことをはじめた。

大阪、堺の人で作家活動を大阪堺ではじめる。
そろばん型花籠は炭斗風でもあり唐物風でもある。銘々皿5種は編みの違う物を5種をセットとしている。今回展示されている3世の作品の元になったものと考えられる。

ハンブルグのコレクション。早川尚古斎家から購入したと思われる物60点ほどある。日本の工芸のきっかけとなる。色々なタイプの籠がある。すでに珍しいものもある。

初代は籠師から美術品、作家的な活動をはじめた。3世早川尚古斎はそれをさらに高めた。3世は2世の弟。2世が活動している間、東京で活動する。2世が亡くなった後大阪に戻り3世となる。この時、3世の東京での生活が作家活動に影響した。関西の籠師だけではなく、東京時代に芸術家との交流が広まっていた。

東京で、作家としての個性を自我の覚醒、個性創作を念頭において、表現してく世界を見て、大阪に帰っている。

その影響を受けたのが初代田邊竹雲齋。3世尚古斎と14歳の年齢差がある。
作品にサインし、作者を明らかにし、個性を表現する姿を作っていった。

籠の胴体部分に穴のを配した花籠。会場では釣り花籠という形で展示されている。窓から水盤が見える。低い花もこの穴から見えるなど広い空間を使えるようにされている。尚古斎とは違う新しいタイプの花籠を作り出す。
また、古い矢竹を使った組籠もある。百合方花籠というタイプのものも生み出す。

一方、東京で名を馳せてきたのが、飯塚鳳齋のファミリー。子、その弟子たち。関東の工芸は堅調で重厚、生真面目という特色を持つ。
飯塚琅かん齋の頃の工芸界は、工芸の近代化が明確になってきた時代。金工、漆がリードし個人の創作をいち早く確立していた。
 漆は蒔絵で代表されるように、描くことができる。近代作家が活躍していた。
 大正時代、竹の世界で間近で見ていて才能を発揮。東京に近くに住み、近代的竹工芸として活躍しはじめる。
竹は編み、組む、色もしれているが、刺繍のように染め分けた竹ひごを編み文様を表すアールデコのようなデザインを作り上げる。

近代工芸の確立者としての琅かん齋は表現を広げ、工芸家の刺激になる。

中央の展覧会、帝展などを多くの人がみて私しもということになり、生野祥雲齋も作り始める。
祥雲齋は編みを見せるのではなく、竹の力をみせるものとして盛り籠などを制作する。

竹ヒゴの流れを大胆に使った怒濤や、回転運動のダイナミックさ表現した釣り籠を制作。
怒濤という作品は、作りたい形がまずあり、それをどう作っていくか創造していく。形を作り出すためにボンドなどの新しい物を積極的に取り入れている。

創作の主題を明確にするというのが、近代の流れ。分かり易く、今風にしたのが祥雲齋。祥雲齋の特質は、怒濤のような自立する美。用の美、用の形を逸脱してもいいのではないかという考え方がある。一方で用の美から出てくる美しさもある。
(通常は丸くなるはずの籠の縁をあえて円形にせず角を作るなどの作品もある。)

祥雲齋は現代竹工芸の確立者と言える。

その頃、活躍したのが22歳で2代を継いだ田邊竹雲齋。
日展系で活躍した。大阪の文人籠の系譜。用の美の中で、美しさ、雅さを追求。文人の求めるものを自ずとかなえるような創作を作り出す。
造形と用の美。3世尚古齋は用の美の均衡調和を言い出す。2代竹雲齋も荒編みに均衡調和を込める。

透かしの効果は琅かん齋がやりかけたこと。どう表現するかを模索。透かしが、色々な人の個性、特色を作りだしている。

小かん齋の丸みをおびた手箱は琅かん齋のものとも違っている。

5世早川尚古斎。一子相伝の竹の扱いがある早川家。それをどう高めていくかに取り組む。切り込み透かしという技法がある。

早川家には後を継ぐ者がなかった。早川家が成し遂げてきたものは、5世が亡くなられてどうなるのか。止まってしまった。将来の事を考え5世は後進の人に教えてこられた。その系譜の復活が望まれる。

飯塚家も同じ。直系はいなくなった。しかし、弟子などが確立してきた表現は継承発展されるかと思われる。

3代竹雲齋はユニークなものを作り出す。3代竹雲齋の弟、田邊陽太は人体をモデルにした作品もある。お母さんをモデルにしたもの。未完となってしまった。
人の姿をモデルに籠を作る。人体からの発想。

池田巌は、竹を素材にして漆の世界に入っていった。日本は作家を分類ししてしまう。しかし、広い目でみると同じ。たまたま、竹で表現しているにすぎない。アーティストとして見るべき。
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メモ、ここまで。


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