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竹工芸の継承・革新(シンポジウム、私の意見2)

シンポジウムは途中退席しましたが、その時点での私の考えをまとめました。その続きです。

3 一般の竹工芸に関する意識

 竹工芸の盛んな地域から一歩離れると、一般の人にとって竹工芸はとても遠い存在です。特に、大分以外では、別府が竹工芸が盛んであるということすら認識されていないのです。「別府ブランド」という言葉が使われていましたが、九州を離れればその認識すら一部の人にしかないのです。

 私は竹籠を習っていましたが、ロイドコッツェン氏の展覧会を見るまでは、竹工芸の世界の奥行きも広さも知りませんでした。そして、竹の世界でがんばっている職人さんが沢山いることも、美術品としての竹工芸家の先生たちがいることを知りませんでした。

それまでの私の認識は浅いものでした。生活雑器、農具、いわゆる民具です。そしてクラフトとしての花籠。それらは、生活環境の変化により人々の周りから、姿を消しました。民具だけではありません、花籠も姿を消しています。

 私が竹細工や工芸品に触れる機会というのは、百貨店で生活雑貨として売られている物もしくは、商品が盛られた籠です。実際、当初はそんなものを参考に見て歩いていたのです。

竹工芸を美術館で見ることはほとんどありません。竹に関心のない人たちからみれば、竹工芸品はあらゆるシーンで姿を消しています。すでに過去の物という認識になってしまってもしかたない状態なのです。

4 美術館の役割

 伝統工芸で本当に必要なことは、この展覧会のタイトルのように、技術の継承だと思います。美術館が行う収集は、過去のすばらしい作品の保存記録にすぎず、技術の部分は記録できません。ならば美術館には、記録として保存している作品を、収集したすばらしい作品達を、一般の人やその技術を受け継ぐ人に、広く紹介して欲しいのです。

 海外の評価は、海外のコレクターの尽力により、高まりました。いわば、勝手に高まったということです。国内の評価を高めるため、今回のような展覧会をもっと企画して欲しいと思います。私には、美術館の竹工芸の扱いが国内の評価の低さと関係しているようにも見えてならないのです。海外からの美術品を珍重し、国内の有名でないものは低く評価しているのではないかと思えてないらないのです。今後は、忘れ去られた日本の美をもっと普及させていく必要があるのではないかと思うのです。

日本の竹工芸は海外から評価されているからすばらしいというだけではなく、国内からも評価を高めていってほしい。その力を持つのは美術館であると私は思います。


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