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「もんじゅ」にて

  近江塩津をすぎたあたりから雲が低く垂れ込めて雨が降り出した。トンネルを抜け福井に入ると、とたんに激しい風が吹き荒れる。冬の日本海側の気候とは内陸とこんなにはっきりと違うのかと思う。日本海側が寒波で荒れた日だった。

 敦賀駅をおりる。寂れた雰囲気の駅前。海水浴シーズンの時にはもっと賑やかなのだろうか。地方の駅に降り立つたびにいつも感じる。寂れた感じ。だからこそ、知事の立場にたてば、原発にも頼らざるを得ないのか。そんな印象をうける。原発と背中合わせで生きる町。それとも日常では、意識することはないのか。地元の方の思いはどうなのかわからない。福島と同じことがおこれば、ここも無人の町になる。無人の町をイメージしてみる。

Monju2012  原発を一つ通りこし、岬の先端へと進む。その一番奥に、「もんじゅ」はあった。

 知恵を司る仏「文殊菩薩」の名前をいただく高速増殖炉「もんじゅ」。ナトリウム漏れの事故を起こして以来17年停止したまま、年間約200億円もの国家予算が投じられるという施設。「もんじゅ」は荒れる海の向こうにそびえ立っていた。海岸の近くには、お寺があり、お墓があった。小さな集落である。もし、もんじゅで事故があれば、この集落の人は逃げることができるのだろうか。その覚悟はできているのだろうか。そんなことを考える。フクシマ後の世界では考えずにはいられない。

 もしかしたら、「もんじゅ」があるからこそ、ここで生活できるという思いがあるのかもしれない。核との共存。もんじゅ誘致の経緯、政治的経済的事情、住民の意識が複雑に絡み合っている。

 現地に来ないと感じないこともある。とても重苦しい気分が漂う町。私にはそう感じた。水晶浜という美しい名の浜も、気比の松原もとてもよい観光資源だと思う。でも、原発の存在により、観光地としての魅力は薄れてしまう。フクシマ後の世界では原発と観光は両立しない。そう感じる。核の町という私の印象も拭いきれないでいる。

 今も「もんじゅ」は運転再開を目指しているらしい。目先の利益にとらわれる人類。文殊菩薩の知恵をお借りして考えれば、答えは自ずと見えていると思うのだが。

註)高速増殖炉の冷却剤にはナトリウムが使用されており、この冷却剤を冷やすのに水が利用されている。ところが、ナトリウムは水と接触すると激しく反応し爆発する。パイプ壁を隔てて危険な物質が接している危うい施設といえる。

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