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アートとクラフト。

 竹で作る作品にも、アートとクラフトというものがあります。実際のところ、私には違いがよくわかりませんでした。先日、教室で先生がそんな話をされていました。

 様々な手芸を経て竹工芸に挑戦されている方が教室におられます。他の分野のセンスを生かして、竹を使った作品を作っては先生に見てもらって、アドバイスを受けておられます。その作品がとても素敵なのです。

 先生のコメントは、クラフトとしてはとても完成度が高い作品と評されるのですが、アート作品としては一歩足りないということなのです。アートとクラフトの区別が重要になってくるのはどこで発表するかということのようです。

 とても素敵な作品なのですが、アートではない。クラフトとアートの違いとは何なのでしょうか。

 クラフトは作りたいものを形にし、道具として使ったり、飾って綺麗というもの。アートとはさらに、作品に物語を織り込んだもの。なぜその形なのか、なぜその素材を使ったのか。その物語性を作品にどう織り込むかがクラフトとアートの違いだそうです。

 いずれにしても、創作という点からいえば、私はクラフトとしてもアートとしても自分の作品というものをまだ作っていません。

 創作のセンスがほしい。そんなことを言っていると、センスはついてくるものだと先生はおっしゃいました。先生の形を追うだけではなく、自分の作品を追求しなければだめだなと思いました。まずは、作るための技術習得か・・・。

でも、こうもおっしゃっていました。
技術を単に学んでいてもだめ。こういうものを作りたいという思いがあって、それを実現するために必要な技術を学ぶ。そうすると、技術が身に付く。

 なるほど。やはり、先にイメージを明確に持つことが大切なのです。イメージを形にするための技術を学ぶという姿勢が、創作と技術の両方の力を高めるということのようです。

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コメント

昔、アーティストとアルチザンの違い、といった文章を読んだことがあります。

その時にボクなりに考えたことを書いてみます。

アートを作るのがアーティスト
クラフトを作るのがアルチザン(フランス語で「職人」)

そう理解して話を進めます。


クラフトは実用性を求められるのではないでしょうか。
それに対して、アートは美しければよい。
たとえば、アートでは
飾りが邪魔で何も入れられない籠でも、
美しければ作品として認められる。

先生のおっしゃる「物語性」というのは、
はっきりとは分かりませんが、
その美しさを求める作者の意志とか
作品の方向性のことではないでしょうか。

クラフト=実用品と考えてよいなら、
クラフトには作者が顔を出してはいけない、
そんな気がします。
自分を殺して、
使い手の使いやすさだけを考えて
モノを作る。
その結果、機能美という名の
美しさが生まれる。
ただしそれはあくまでも
結果としてであって、
目標は美ではなく機能の方。

先生のおっしゃっていることとは
違ってるかもしれないのですが、
まあ、一つのとらえ方として
参考になれば幸いです。


それから、技術に関しては、
自分の表現したいことが
形に出来る技術が
まず必要だと考えます。

ボクはブログに
自分で描いた絵を載せていますが、
絵を描いていて
自分が描いた歪みまくった線を見て
泣きたくなるときがあります。

もっとボクに技術があれば、
もっと的確に、もっと美しく
ボクがイメージしたものを
描けるのに、と思います。
消しては描き、消しては描きしながら
せめてこれくらいの線を
一筆でさっと書けるようになったら、
もっと素敵な絵が描けるのにって思います。

先人の編み出した
自分の思いを簡単に楽に
形にする方法
それが技術だと
ボクは思います。

そうは思うのですが、
技術を学ぶということは
怠けまくっています。
いけませんね。

「学ぶ」という言葉は
「まね・ぶ」から
きているんだそうですね。

まずは
時間を掛けて
懸命に努力して
先人の技をまねて
謙虚に学ばないと
いけないんですけどね。


とりとめもないコメントで済みません。

投稿: うさぎさん | 2012/12/30 21:53

うさぎさん。コメントありがとうございます。

クラフトとアートとの違いは、職人が作ったか芸術家が作ったかという区別は分かり易いと思います。そして、作った人が作品から見えるかどうかというご指摘。まさにそのとおりだと思います。

先生が作られるアート作品は竹籠の伝統的な技法で籠では無いオブジェを作られます。それは完全なアートだと思います。しかし、先生が作られる花籠や茶道具を入れる竹籠でも実用品でありながら実はそれ自体がアートなのです。

そして、問題は趣味として籠を作成する者の作品が、アートかクラフトかということなのです。記事で書いた方が作られているのは籠では無くオブジェなのです。とても素晴らしい斬新なものです。私にはアートと見えました。しかし、先生やその弟子の方もクラフトとしては完成しているがアートというと少し弱いということなのです。

足りないのは「物語性」。私は作家の思いを表現するため仕掛けが「物語性」だと理解しました。それは、うさぎさんがおっしゃっている、作品から作家の思いが見える、顔が見えるということに繋がって行くことだと思いました。どう自分を表現するかということが大切なのでしょうね。

投稿: 幸雲 | 2012/12/30 22:40

おはようございます。
過去記事に失礼します。

「作家の思いを表現するための仕掛けが『物語性』」というところになるほどと思わされました。
私は美術教育専攻なので、その辺にとても興味があります。
子どもは、思春期になると形にとらわれ主題(物語性)を見失い、絵を描くことが嫌いになっていくという説があります。
大人はその失われた世界を意識的に再構築して、アーティストになるしかないように思います。
大人が形にとらわれなくなるためには、形を克服する(技能を身に付ける)しかないのだと思います。

投稿: ずくなしはなこ | 2013/02/11 07:18

ずくなしはなこさん。コメントありがとうございます。
美術関連の勉強をされたんですね。私は美術を専門に学んだわけでは無いのでお恥ずかしい限りです。

小学生の頃、先生達が「みんなの絵は素晴らしい」と言っていました。確かに子供の絵はデッサンも何もかもがおかしいですが、何かを伝えたい、表現したいという物が込められています。物語性とも言えます。だからアートに分類できるのかもしれません。

子供は年を重ねるにつれて確かに形にこだわり出します。

小学3年生の頃、図画の時間に外で写生をしました。先生も一緒に。その時先生は松の幹を描かれました。とても写実的で凄いとみんなで感心しました。でも、先生は「みんなの方が素晴らしい」とおっしゃいました。私は自分のゆがんだ絵がそんなに素晴らしいとは全然思いませんでした。

ここだと思います。年を重ねると子供は現実にあり得ない形などを否定し出す時期があるのではないでしょうか。物語性があるよりも見える物を見えたまま描く技術に憧れる時期があるのです。それで否定してしまう。そして、上手く描けずに絵から離れていく。そんな過程があるのだと自らを振り返って思います。
その時点で、思うように描ける技術がある子は描き続けるのかもしれません。

本当に、おっしゃるとおりだと思います。

投稿: 幸雲 | 2013/02/11 09:21

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