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籠を作るということ

 私にとって竹籠を作るということは一種の「精神修養」でもあると思うことがよくあります。

 竹を割る、剥ぐ、削る、編む、それぞれの行程をきちっと行い、作業を積み上げた結果が作品となります。そして、それぞれの作業においても動作の無駄を省き、身の回りの整頓をしながら作業を行うようにと指導をうけています。武道における型のようなものだと理解しています。

 しかし、技術的に未熟な私は、各段階で思うように作業をこなせないことが多く、一つの作業に集中しないとできない工程がいくつかあります。ところが、集中しているはずなのに、雑念が湧いてくるのです。「じゃまくさい」とか「こんなもんでいいか」などの怠け心や嫌気みたいなマイナスの気持ちです。こんな気持ちの時によく失敗するのです。

 今の私の場合、この気持ちをどうコントロールするかで作品の出来が変わってくると思うのです。まるで、「修行」です。心を鎮めて、どうコントロールするか。自己との対話です。

 また、刃物を使うことによる緊張感は集中力を高める訓練にもなっています。一歩間違うと大けがをします。意識が研ぎ澄まされる感じがします。

 その一方で、気を抜いた時に起こるミスによる落胆。疲れて心のコントロールを失い、様々な思いが入り乱れて繰り返すミスという負のスパイラル。全体にゆとりがないということでしょうね。

 もしかしたら、できあがった作品には私の心の形や動きが現れているかもしれません。ならば、もっと穏やかな気持ちで、ゆとりをもって作れるようになりたいものです。
心に乱れが現れているうちは、見本と同じものを作ったとしてもそれは自分の作品とは言えないとも思います。もっと、ゆとりをもって作品を作れるようにならないと本物ではないと思います。

 ある道を極めた職人さんの言葉は、どこか哲学的です。やはり、いいものを思いのままに作る人というのは、哲学的な思想や悟りまでも身に付けておられるということでしょうか。私にはまだまだ遠い世界の話です。

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コメント

ものを作るということは、精神的であり、奥深いものですね。
何においても、その道を極めた人というのは、自然と
その人なりの哲学を持つようになるのでしょうか。
ところで、今年も一年、どうもありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えくださいね。

投稿: hanano | 2012/12/29 16:48

hananoさん。コメントありがとうございます。
今年一年、記事を読んでくださってありがとうございました。お礼申し上げます。

投稿: 幸雲 | 2012/12/30 00:24

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