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「現代の名工 廣島一夫の手仕事」展示記録集

2012年8月に滋賀県近江八幡市で開催された「暮らしの中で息づく竹の道具たち -現代の名工 廣島一夫の手仕事展」の展示会記録集を水俣のカゴ屋さんからいただきました。
出品作品の一部の紹介や会期中に行われた対談の記録、実演や販売に参加された職人さん達の紹介。そして、職人としては一線を退かれ今は養護老人ホームで過ごす廣島さんをたずねてのレポート。
35ページほどの冊子ですが、内容は濃いものがあります。

どこか、インターネット上で紹介されている方はおられないかと探しましたらありました。
私がこの冊子をいただいたのは随分前です。欲しい方はお早めにお問い合わせください。


対談記録の中にあったのは、若い職人が途絶えた時期も長かったが、それでも途切れなかったのは、廣島さん達の踏ん張りによるもの。しかし、「もはや個人の踏ん張りだけでは支えきれる問題ではない。職人が暮らしていける収入がなければ、その仕事は消える運命にある。言い換えると、需要がなければ、稼業として成り立たない。」状況だといいます。

一次産業や伝統的な手仕事は皆同じことが言えます。社会が効率化を求め「安くてほどほど」のモノを求める中、輸入物や安い工業製品に手仕事が立ち向かうには限界があります。特に、農村に根ざす「青物」は難しい環境にあると言えます。

そんなことを考えながら、廣島さんをたずねたレポートを読みました。すると、山村出身の廣島さんはこんな事を語っています。

「水は純粋です。水は上から下へ、(上の村が下の村を)養のうちょっと思うとよね。じゃっきん(だから)、奥の方の者に文句を言うな、て(笑い)。どこも、下流の隣村が得をしとる。(奥の集落)が貧乏しちゃあ、いかんよ。(奥の集落が)成り立つ方法を考えにゃ」

筆者は、「下流域に住む者は奥山に暮らす人たちを粗末に扱ってはならない。僻村が荒廃してはいけない。」と、廣島さんの言葉を解釈しました。

私は、さらに、これは竹職人のことをも言い表しているのでは無いかと思いました。さらに広げて、生産者と消費者の関係をも語っているようにも思えます。

私達が使うモノというものは、必ず誰かが作ったモノです。下流である私達消費者は、安さ便利さを求め、利便性を得ています。そしてモノそのものや価格に対して安易に文句を言ったりします。しかし、それを作った人はそれなりに苦労もし、安く買いたたかれ苦しい環境にあるかもしれません。私達消費者は、目の前のことだけに気を取られ「上流」でどのように生産されているのかという所まで気が回らないのも事実です。

本当に、欲しいと思ったものが気がつけば私達の身の回りから消えている。日本の伝統工芸だと世界に発信しようとしても、海外で生産されたモノの逆輸入品が大半だったりする。
日常の暮らしの中から消えてしまったものは稼業としては成り立たず、知らないうちに消えていてしまっている。日本の農産物でも、中間の加工業者が安いからと輸入品に頼ったため、生産がされなくなり、消費者が国産を求めたときに、すでにその需要を支えられる供給が無くなっていて、結果、産地偽装が起こり、消費者は不利益を被る。世の中は、繋がっており、国内で上手く循環出来ていなければ成り立たない。

消費者は川上の事に思いを馳せ、生活が成り立つように考えねばということです。消費者がモノを選択する時に、自分が大切にしたいと思う川上を支援する思いで選択すれば、川上も潤うということです。それが私を含めた現代の消費者に欠けた視点なのです。これを廣島さんは平易な言葉で言い表したのではないかと思いました。


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コメント

基本的に自給自足で、時折訪れる行商人が
あちこちの噂を伝えてくれて、
つつましかったけれども、のんびりとできた
そんな暮らしは、もうないのかもしれませんね。
若い者から川下(都会)へ出て、
川上には年寄りばっかり。
年寄りだけでは村の暮らしはできません。

村に生まれ育って、村中に嫁いで、
一生、村から出たことのない婆様がいた時代。
そこには、ひとかたならぬ苦労もあったのだろうけど、
(そんな苦労を身にしみては知らないボクは)
なぜかあこがれてしまいます。

投稿: うさぎさん@燃え尽き症候群 | 2013/03/10 08:37

うさぎさん。コメントありがとうございます。
おっしゃるように「年寄りだけでは、村の暮らしは成り立ちません。」はその通りだと思います。

水は上流から下流へと流れ、潤すものです。
でも、日本の現状を考えると、下流の者は上流から流れてくるものは効率が悪いため、別の場所から水を運んで来ている。これが、現状では無いかと私は思いました。

下流で暮らす者の都合での言い分は「国内で作るモノは高いので、海外から安いモノを持ってきて何が悪い。悔しかったら安くしてみろっ。国内の高いモノを買えって甘えるな」ぶっちゃけた言い方をすると、これが自由貿易を推進する人達の主張ではないでしょうか。

実際、竹工芸の世界でも、中国で籠を編ませている業者もあるようです。
そんな言い分が、農産物など一次産品から今は労働力へと拡大してきたのが現在の雇用形態だと思います。「国内で働きたければ海外並に安い労働力を」同じ論理のような気がします。

山間部では、林業が下火で生活が成り立ちにくくなっています。一方で、平野部でも労働力を買いたたかれています。世界的な俯瞰で見れば、グローバル化が進めば進むほど日本の庶民の行く末は現在の山村の状況と重なってくるようで薄ら寒く感じます。

投稿: 幸雲 | 2013/03/17 07:34

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