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竹の魅力(10年を振り返って)3

竹籠を作るようになって、学んだことは竹工芸の技術だけではなく、精神面などのことも考えることが多くありました。いくつか紹介します。

精神修養・・・刃物を使うからこその集中力。自分との対話。

竹を割るなど、材料を作る工程は刃物をを多く使うため、気を抜く事ができません。集中力が途切れてしまうと怪我をしてしまいま す。そのため、集中力が研ぎ澄まされてきます。武士が真剣を使うときに研ぎ澄まされる感覚はもしかしたらこのようなものだったのかもしれません。(とはいうものの、プロの職人さん等は何気なく作業をされているので、こんな大げさな話ではないのかもしれませんが・・・)
ただ、集中しなければ大けがをするのは間違いありませんので、気を抜くことはできない作業です。

集中して作業を行う時は日常の事は頭から消えてしまっていますのでストレスの解消にはなっているのでしょう。その一方で、うまくヒゴができないときや編む段階で失敗が続くなど、うまく作れないと時のストレスも相当なものです。

ここで、精神修養と私が言っているのは、このストレスが心の中に生じてきたときの心のコントロールを竹籠を通じて学びました。
というのは、苦しくなってくると、「まぁ、この程度でいいか」という妥協の心が湧いてきます。こうなるといい籠が作れるはずがありません。

そこで、なんとか妥協の心を抑えるため、心のコントロールが必要となってきます。まさに、自分との戦いというか自分と向き合っている時間でもあるのです。
自分との対話をしていると言ってもいいかもしれません。

積み重ねの美・・・美しい籠は美しいヒゴから

竹籠の美しさは積み重ねの美しさであると先生から教わりました。確かに美しいヒゴができると、編みやすく目もそろえやすくそして形の良い籠ができるのです。ヒゴを作る段階で手を抜くと、積み重なって最後には修正が聞かないぐらいのゆがみになってしまうのです。

そのため、各段階で「妥協する心」を押さえてその段階でいい物を作っていく必要があるのです。しかし、「精神修養」という点でまだまだ心に弱いところがありますので、作品はいつも、今ひとつ美しくないものが現実です。心のどこかで「これくらいはいいだろう」という邪魔くさいという感情が浮かんできたときは、先生の「竹は美しさを積み重ねていく事が大切です」という言葉が背後から聞こえてくるのです。

手先の感覚・・・

意識して、指先を使うようになったため、器用になったというか、竹籠をはじめた頃よりも指先の感覚がよくなっている感じがします。

手先の感覚とは、インプットとアウトプットです。つまり、竹の厚み、小刀の角度、ヒゴの引き方、編むときのヒゴを曲げる力加減、ヒゴさばき。手先は常に状況を感じ取り、それに対応するように編むときに加減をして材料を作ったり編みすすめたりすることがスムーズになってきたと言うこと。もちろんはじめた頃と比較してです。

私のような未熟者では編みの法則を頭で考えるためなかなか編めないのですが、もしかしたら熟練した職人さんは手先が脳を経由せず反射のようにして手が動いて籠を形作っておられるのでしょう。上達するにはもっと指先の感覚を研ぎ澄ます訓練が必要なのかもしれません。

竹の声を聞くという話をこれまでしましたが、これはもしかして指先で聞き取るものなのかもしれません。

作業の効率化・・・身のこなしのキホン

竹 の作業をするうえで、身のこなしというのは重要だということをまず最初に学びました。竹ヒゴ作りの工程で出る削りくず等は、作業の流れの中で捨て、作業が 完了したときには綺麗に片付いているという状態にしておくと言うことや、次の作業がしやすいようにヒゴの向きを揃えておくことが大切だということです。

これは、竹籠作りだけではなく、日常生活や仕事の中でも大切であることに気がつきました。料理をするときなど次の工程を考え、片付けながら作業をするなど、竹以外のところで活用しています。

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