カテゴリー「経済・政治・国際」の記事

「京都」のみやげ~記号としての「京都」

地域活性化のためには地域で生産した材料を使い地域に住まう人達が地域で生産し地域を基本として販売活動をするということが大切であると考えます。
土産物は特に”地産地消”に近いものを求めたくなるというのは、私だけではないと思います。

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戦後70年。終戦記念日の雑感

毎年、ここでも8月には戦争を振り返るような記事を書いていましたが、このところ更新ペースが鈍っているので、出遅れてしまいました。しかし、振り返ると言うよりも、政治の動きを見ていると今や戦前へ舵を切ったかのような現状に、私の中で不安が募っています。

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投票の基準〜18歳のみなさんへ

前回、選挙にあたり私が投票する人を選択する基準を紹介しました。

そんな、私の考えよりも論理的な投票する人を決定するための考え方が、毎日新聞の「経済観測」というコーナーに掲載されていました。とても興味深い記事でした。

経済観測:18歳投票権と有権者教育=政治アナリスト・横江公美
毎日新聞 2015年06月18日 東京朝刊

高校生に選挙権が与えられました。教師が政治的な発言をするとバッシングが起こるので現場で苦労されているなどいう記事も掲載されていました。

この記事では、アメリカでの選挙について教育について紹介されているのですが、とても重要なことが書かれています。
18歳の方だけではなく、おじさんたちもしっかりと読み候補者を選ぶ参考にすべきだと思いました。

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選挙について18歳のみなさんへ

公職選挙法が改正されて、選挙権が18歳から与えられるようになりました。勝ち取った権利ではなく、与えられた権利であるため、どれだけの若者が選挙に足を運ぶか心配なところでもあります。とはいえ、18歳の心配ばかりしていては若者に気の毒です。そもそも20代以上の投票率が低いというのがかなり問題だと私は思います。

今回の改正にともない、新聞は若者へのインタビューを載せていました。前向きな意見がある一方、大人の声の反映か「誰に投票しても変わらない」という声があります。しかし、私は違うと思うのです。政治家は投票してくれる人たちを見ています。若者の票よりもおじさんたちの投票率が高ければやはり、政治家はおじさんたちのための政治を優先します。ここで、若者が一大勢力になれば若者の求める政策を優先してくるでしょう。すぐには何も変わらないけれど、長期的視点に経てば変わってくるのです。

そして、選挙で誰に投票するかという事が問題になってきます。選挙は人気投票ではないのです。最近は政党も人気投票のように考えて、芸能人や著名な人を候補者に立てますが、あれははっきり言って有権者を馬鹿にしているように思えてなりません。

では、何を基準に投票する人を選べばいいのでしょうか。
私は、支持政党のないいわゆる無党派です。私の場合はこのように考えて選びます。

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戦争の足音

安倍首相が前回首相をした時に著書「美しい国へ」も読んだが全く共感できなくて、色々と書きました。(「美しい国へ」の道など)

このところの発言を聞いていると、政治姿勢があまりにもひどいという印象が否めません。後藤さんがISに殺害された件についても、人質になっている情報を得ながら、挑発するような言動をとっています。さらに、救出のために自衛隊を派遣できるようにするということに力をいれています。しかし、今回の件で自衛隊がもし現地に行っていたら、救出できたかどうかは、甚だ疑問です。

私から見れば、日本の根本を独断で変えようとしている危険な人物なのに、この前の選挙でこれほど支持されていることが信じられませんでした。

昨年8月の終戦記念日の少し前に書いたけれど、紹介しなかった文章を掲載します。
これまで、掲載した内容とよく似たことも書いていますがご了承ください。(憲法の米国押し付け論と解釈変更の強行に思うなど)
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「女性が輝く社会」に欠ける視点

ワークライフバランスについて考える。

安倍政権でも、女性が活躍できる社会を実現するというようなことを言って、女性の大臣を登用するなどPRをしています。
しかし、どうもかけ声だけというか、アベノミクスの宣伝効果が落ちてきたので、取り上げているだけのような気がします。要するに本気度が感じられないのです。

国会の首相の所信表明演説でも 「女性が輝く社会」を謳っています。
それを実現するために演説では、「待機児童ゼロ」、「子育て支援員」、「社会の意識そのもの」としての「女性役員数の情報公開の義務づけ」この3本柱です。でも、これは、言い換えると女性を子育てから解放し働くことで女性が輝くといっていると思えます。つまり、子育てなど「家」から解放し男と同じような働き方をせよと言っているようなメッセージを受けました。

これは、なんか違うように思うのです。
本当の女性が安心して働ける社会というのはどのようなものかを考えてみます。

第一に、女性の社会的な差別の存在です。
確かに、女性の社会的に不利な労働環境はあると思います。男女雇用機会均等法以降でも、日本の行政や会社で要職につくのは男性という固定観念みたいなものは残っています。だから、この固定観念は払拭する必要はあります。でも、これはかけ声だけでは減らない。大きな意識改革が必要でしょう。このことは、所信表明演説でも社会の意識改革を謳っていることから今後、首相の本気度を見極める必要があります。

まずは政治家の意識改革から始める必要があります。政治家の女性蔑視の体質は東京都議会の女性差別発言が証明しています。あれは、氷山の一角にすぎないでしょう。自民党の家庭の考え方自体が旧来の価値観を尊重しています。自民党の幹事長に女性を抜擢してみればよくわかるでしょう。党内の反発は必至です。

第二に、出産が社会的障害という認識の存在です。
女性が会社から去る要因が出産です。キャリアを積んできた女性が出産を社会的不利な要因となり、退社するかどうかという選択に迫られるということはよくある話です。
出産後に復帰できるようなサポートがある会社での復帰率は高いということがよく紹介されています。しかし、サポートがある企業というのは一握りではないかと思われます。また、女性が出産を理由にやめる事が多いから女性を採用しないということや、やめることを見積もって採用しているということも多いのではないかと思います。
これが、少子化現象の一因であること一つであることは明らかです。

第三に、家事労働のあり方の問題です。
女性が会社へ復帰しようとした場合、問題となるのが家事や育児または介護をどうするということです。これらをサポートする社会的支援の不備です。

支援するために、保育園等の社会的な基盤整備が必要です。所信表明演説では待機児童の解消ということが言われています。現状では公的な保育園が少子化を理由に統合削減されています。それに伴う待機児童の増加。保育園に入れたとしても兄弟が別々の保育園という事が発生する現状。どれもこれも社会復帰を阻害する要因です。


女性が働く社会を突き詰めていくと、共働き世帯が増えると言うことです。昔の農村のように家族全員で働くとしても、子供が歩いていける範囲に両親がいて、暗くなると家族が家に集うという環境は現在では望めません。

両親とも夜遅くまで働くという旧来の「おじさん的」な働き方をしたとすると、子供の心の成長に負の要因があるのではないかと心配にもなります。

本当に女性が輝ける社会というのは、職業人としての活躍はもちろんのこと、家事労働を家族で分業するなど、安心して働ける環境を整えることです。
これを実現するには、男性側の労働環境を変えなければ結果として女性や子供に負担をかけることになると私は思うのです。それが、最近よく言われているワークライフバランスを改善すると言うことなのです。

ところが、政治家が女性が職業人として働くという話が出た場合は、女性の家事労働をどうするという話や、保育園の話に歪曲されてしまうことに、どこか違和感を感じます。なぜか、女性の事のみで、男性の働きをどうするかが全く議論に上ってこないのです。

なぜ、男性の働き方をどうするかという発言が首相の口からでてこないのでしょうか。そこに性による差別の存在を感じるのです。つまり、それが政治家の本音なのだと思います。男性の働き方を何とかしないと本当に女性が力を発揮できないけれど、そこまでは踏み込むつもりはない。結局女性が子供を保育園に預けて、家事はそのままで男性と同等の仕事をすることを求めているのではないでしょうか。「女性が輝く」という首相の言葉はとても薄っぺらいものに私には感じてしまうのです。

(20140915pomera)

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反韓と集団的自衛権

韓国を毛嫌いする風潮がある一方で、集団的自衛権になると反韓と関連して声が聞こえてこないことに違和感を感じます。

さらに言えば、日本は実はアメリカの属国であるという巧妙に隠された事実についての反対する声が聞こえない事にも違和感を感じます。

まず、アメリカの属国という話について考えると、日本国憲法はアメリカから押しつけられたといって、自主憲法をと勇ましいことをいう政治家が増えてきました。特に自民党に多いですが、この自民党がアメリカの代弁者であるということが矛盾しておかしいのです。

日本国民がいくら主張して要求してもなかなか法案化されないことも多々あります。しかし、アメリカが要求したことは最優先課題で実現しようと政府は動きます。たとえば、イラク戦争追随しかり、特定秘密法や今回の集団的自衛権、郵政民営化など。もちろん、自衛隊の創設もアメリカからの要望です。

戦後、日本国憲法とともに両輪として押しつけられたのが日米安保条約です。憲法で武力放棄をうたい、日米安保で安全保障を約束していたのです。そこに日本は思いやり予算などといいつつ多額の資金を投入し続けています。

時代は変わります。アメリカは国力が落ち、東アジアをカバーすることを負担に感じ、日本に負担するようになってきました。そこで、日本にも負担を求めるよう担ってきているのです。安倍首相はその要請に答えようと必死で強引に突き進んでいるとみるのが正しいと私は考えています。

一方で9条改正をしようとしています。自主憲法を制定するならセットで押しつけれている日米安全保障条約を破棄し、あらたな安全保障条約を”普通の国”として結び直す必要があると考えます。敗戦国という立場で一方的に結ばされた条約など平等とはいえません。

でも、そうはしない。それは、日本がアメリカの属国であるからなのです。アメリカは自国の軍事費を押さえようとしています。日本がアメリカの肩代わりで東アジアで働けば助かるわけです。だから自衛隊の活動を期待するのです。

安倍首相がいう時代の変化とはこういうことがあると思います。同盟国の負担を軽減するために自衛隊の活動の場をいち早く、憲法改正など待たずして決めたいのです。おそらくこの前、オバマ大統領が来たときに約束でもしたのでしょう。だから急ぐ必要があるのだと思います。

そして、日本は同盟国アメリカの軍事行動を支援するということを身内で決めようとしています。

アメリカは日本だけではなく、韓国とも同盟を結んでいます。つまり、もし、北朝鮮と韓国が戦争状態に陥ったときは、アメリカも軍事力を行使するでしょう。おそらくアメリカからはアメリカ軍の負担軽減のため、集団的自衛権の行使を求めてくるはずです。そして、韓国国内にも多くの邦人が滞在しています。政府は邦人保護を理由に韓国国内での自衛隊の展開を決定することでしょう。

自衛隊の活動領域は日本の領海内とかいう制限をいっていますが、それすら国会での議論を経たものではなく政権与党が勝手にそう決めたにすぎません。つまり、時の政権が自由に変えようと思えば変えることができるということです。

つまり、日本とは直接に関係のない韓国と北朝鮮の戦争が勃発し、アメリカが介入すれば、自衛隊は韓国のために戦争に参加するという事態が発生するということです。日本人が韓国のために血を流すことがあるということです。
次に起こることは、北朝鮮は日本を敵と見なし、日本も戦争に突入するということです。そして、北は核兵器を使わずとも、日本海側に多くある原子力発電所を攻撃すればエネルギーの遮断と放射能被害の拡散という一石二鳥のダメージを与えることができるのです。

本題からずれました。もどします。

本来、反韓の立場にある人は、率先してこの集団的自衛権に反対すべきと思うのですが、そんな様子がみられません。反韓のネットの記事には必ず、ネット世論はなどということを取り上げます。私は反韓の人達から集団的自衛権反対の声があがってきてもいいように思うのですが、この件については反韓の立場の人たちはなりを潜めています。まるで容認しているかのようです。つまり、韓国は嫌いだが、韓国の為に自衛隊が働くことに不満はないということ。そこに矛盾を感じるわけです。

(日付不明「集団的自衛権の報道をみて」 pomera)

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ヘイトスピーチについて考える。

日本におけるマイノリティである在日韓国人などに対するヘイトスピーチの心理とはなんだろうかと考えました。

毎日新聞がある団体の取材をした記事が掲載されていました。
子供連れで和気藹々とビラを作っているのに、ヘイトスピーチのデモを行うときには目つきが変わり韓国を罵っていたと伝えています。

私は実際のところはわかりませんが、最近の報道から感じることは、結局はいじめの心理ではないかと思うのです。

クラスで起こる陰湿なイジメを行う子供の心理とにているのではないか。実際のところ、日本で住んでいる在日の人々は長い歴史の中で日本につれてこられて行くも帰るもできなくなり現在に至っているという人々が多いのだと思います。

いくら韓国や北朝鮮が日本の事を批判しようと、本当はこの人たちとは別なのです。韓国人が安倍首相を批判したところで、国民全てが安倍首相を支持しているわけではないのと同じです。

では、なぜヘイトスピーチはマイノリティへの批判へつながるのでしょうか。
そこを考えると、やはりイジメの心理と同じところから発しているのではないと思うのです。

つまり、社会からうける圧力に対する自分たちの不満。そういうどこへ向けたらよいのかわからない、もやもやとした不満が社会に鬱積しているのです。教室内であれば、力のない弱い子や言動が変わった子、異質な子、そんなところにイジメとして噴出するのです。それが社会レベルで起こったものがヘイトスピーチと考えれば腑に落ちます。

昔ならその不満は、学生運動など政府や権力者に対してぶつけられていました。しかし現在行われているのは、社会的に力のないマイノリティに対してぶつけて自分のストレスを発散させているのです。これは、学生運動などとは違い弱い物に対して憎悪をぶつけているだけにすぎない。それは群衆心理で増幅していくのです。これもイジメの心理構造ではないかと思います。

ネット上での「炎上」も同じ構造の群集心理みたいなものが働いていると思います。ひとつの発言者に対して、一斉に集団で不満をぶつけというところです。ターゲットは特定されているが周りで騒ぐその他大勢は結局、矢面にたつこともなくただ暴言だけをはいてさえいれば何の責任もないのです。

もしかしたら、ヘイトスピートにしてもネット上の炎上にしても教室におけるイジメにしても、根本的には何の目的もなくていいのかもしれません。その根本にあるのは漠然とした不満の解消なのではないでしょうか。

反韓の本などを目にして思うのは、結局、韓国人はこういうものというステレオタイプな分析がほとんどです。もしかしたらそこには戦前に植民地であったという差別意識があるのかもしれません。もちろんこれは日本に限ったことではなく、韓国内での反日を叫ぶ人たちにも言えることです。

悲しいかな、日本人と韓国人は見た目がよく似ているため、同一の価値観の人間であると思いがちです。その思いこみと実際のギャップが理解できないのでしょう。
しかし、実際に韓国に行ってみると街で出会う人たちは、日本人よりも親切な人が多いことに気がつきます。

駅でシステムがわからず困っている日本人に対して手をさしのべる人が多いのです。日本で困っている外国人に声をかける人がどれくらいいるでしょうか。駅員がすることと無視して通り過ぎる人が多いのではないでしょうか。案外日本人は冷たいのではないでしょうか。

(20140903pomera)

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憲法の米国押し付け論と解釈変更の強行に思う

集団的自衛権容認について、現在の憲法は米国からの押し付けであるため、改憲すべきという立場の現政権が改憲ではなく憲法解釈変更という”骨抜き”の手法で強行にすすめている。

冷静に考えれば、政権が変われば好きなように憲法の解釈が変わるという危険な前例を作ることになる。自民党以外が政権がとれば都合の良いように解釈を変えることが可能ということを示している。とても危険だ。

さて、戦後、アメリカから与えられたものが2つある。それが、平和憲法と自衛隊である。
日本の軍事的脅威を封じ込めるための足かせと、日米安保のもとアメリカが都合よく使うための軍事力としての自衛隊である。

日本人は、憲法9条と自衛隊を矛盾する存在と考えるが、アメリカの国益から見れば何ら矛盾はない。また、たとえ憲法を改正しようともアメリカの国益はなんの不利益もないのである。いずれにせよ、日本の軍事力が使いやすくなることはアメリカの国益になる。

日本人は目を背けているが、日本はアメリカの軍事的属国なのである。安倍首相は憲法を改正するとはいうが、日米安保を破棄してあらたに対等な軍事同盟を結ぶとは主張していない。

現在、集団的自衛権についての性急な議論は、おそらく、アメリカから何らかの強い要請があるのではないだろうか。だから公明党が主張しても首相は頑ななのだろう。
この前、オバマ大統領が来日した時に、そんな要請があったのかもしれない。だから急いでいるのだ。自ら汗を流さない日本をアメリカが助けてくれないという趣旨の発言も耳にする。それこそがアメリカからの強い要請があることの証である。
国会で改憲の議論では時間がかかって対応しきれない、だから解釈を変えるという憲法をなし崩しにしかねない危険な行為で乗り切ろうとしているのだろう。

アメリカは、世界的に軍事的な影響力を低下させている。中東などでは、機会があれば撤退しようとしている。東アジアの軍事的危機に対するアメリカの犠牲を自衛隊に肩代わりさせるためにアメリカが安倍総理に要求をしているのと見ると腑に落ちるものがある。
首相の勇ましい発言はアメリカの背後からの言葉であり、やはり属国なのである。

そんな気がしてならない。


追伸
 この記事を書いて、ふと、同じ事を書いたような気がすると思って見直すと、7年前に書いていました。第1期安倍内閣の頃です。

憲法について(2007/07/15)
 

自民党の議員の質というか層が薄くなったので、良識をもってブレーキをかける人がいなくなったことに危うさを強く感じています。

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神道と仏教

神仏分離により寺院と神社を明確に分け、神道を国教化したのは、明治政府からのことです。

皇族の歴史は神道よりも仏教との結びつきが深いものでした。これは歴史を振り返ると明らかです。仏教伝来以降、天皇は国の安寧を願い、大仏や寺院を建立しています。皇族の妻は夫を亡くすと髪を下ろして仏門に入ります。奈良や京都にはそんなお寺が多く残っています。また、現在でも京都御所には皇族のための寺院があり、亡くなるとここで供養されています。

では、神社はどうであったのか。日本では神は人智を越えた力を持つものなのです。いわば自然信仰です。その荒ぶる神の御霊を鎮めその土地に災いがないように祭るのが、神社なのです。今でも古い寺院の傍らには大抵、神社や小さな社があります。

これは、後からやってきた仏教寺院を建立するのにあたり、土地の神を鎮めるという目的があったと言います。
やがて、多くの神の存在を認める日本人は、その中に仏教の仏たちも神の一つとして取り込まれ根付いていきます。

これらの神仏を切り分けたのが、明治政府なのです。廃仏毀釈により多くの仏像が廃棄されてしまいました。その結果として、神道を国の宗教として天皇を神格化を強化していったのです。

天皇陛下を権力と分離した権威として奉るという思想が日本の伝統であったことは歴史をみると明らかであり、伝統文化を今に伝えた制度であると思います。
しかし、伝統的に仏教と関わりが深い皇室であるはずなのに、国家権力が神道に純化しそれを伝統として引き合いに出すことに違和感を感じるのです。

学問の神とされる菅原道真をまつる天神様も、都をおそった災いが道真の怨みと考えられ、その御霊を鎮めるために祭られているのです。
神社とは荒ぶる神が災いを起こさないように鎮め、さらにはその力を乞い祈る場所なのです。願いを祈り、それに向かっての努力を誓うのは、仏に対して行う参拝なのです。

そう考えると、西南戦争での戦死者を祭ったことを起源する靖国の存在は国家にとってどういう意味があるのでしょうか。

その神社へ議員や大臣としての参拝にこだわる総理大臣をはじめとする国会議員は何を目的としているのでしょうか。靖国の神に何の力添えを乞うているのでしょうか。最近の動向を見ていると、鎮魂というよりも災いの封印を解こうとしているように感じてなりません

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