カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

「シン・ゴジラ」見ました

ゴジラ映画は、完全子供向けゴジラから、ハリウッドのジュラシックパーク風ゴジラ、そして前回の日本のゴジラに近いハリウッド版と、公開すると必ず見てきました。

今回のゴジラは、未知の恐怖が迫り来るという「ゴジラ」本来の姿がリアルでした。そして、初代ゴジラは核兵器のメタファーだったのに対して、シン・ゴジラは明らかに原発事故のメタファーです。

初代ゴジラは、原爆や東京大空襲で実際に東京が破壊される様子を目の当たりにした世代が作ったものです。そういう迫り来る、空襲や原爆の恐怖というものの象徴としてのゴジラであったのだと思います。

一方、シン・ゴジラの方は、まさに、私たちが経験した東日本大震災や大津波、原発事故など未曾有の災害のメタファーなのです。突如襲い来る津波、暴走する原子炉、見えない放射能の恐怖。そんな経験が投影されているのです。あの経験があったからこその作品だと私は思いました。

ゴジラのシーンは今回完全CGだということでした。監督がエヴァンゲリオンの庵野監督ですので、迫力あるシーンの見せ方はとてもうまかったです。

その、怪獣シーンの出来の良さ、リアリティに比べていまいちなのが実際に人間が演じている登場人物のリアリティのなさです。がっかりです。

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守り人シリーズにどっぷり

すっかり、物語の世界にはまってしまっています。守り人シリーズは異世界ファンタジーで、実際の人間がいる世界(サグ)ともうひとつ重なるように存在している(ナユグ)との関わりから生まれてくる物語です。

シリーズ4作は「虚空の旅人」。守り人シリーズなのに「旅人」というタイトルです。あとがきをみると、これには訳があって、守り人シリーズは「短槍使いのバルサ」が登場しない作品だからです。主人公は「精霊の守り人」や「夢の守り人」で現実と重なる異世界とつながりを持ってしまった皇太子チャグムとその教育係でもある星読博士のシュガが主人公の物語だからです。いわゆる「外伝」です。

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「守り人」シリーズにはまりました

「精霊の守り人」を読んで、「守り人」シリーズの世界に魅了された私は「闇の守り人」「夢の守り人」と読み進みました。

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「精霊の守り人」アニメ版と原作と

「精霊の守り人」読みました。

上橋菜穂子の「精霊の守り人」を読みました。この作品が世に出てすでに20年が立ったそうです。この作家は、児童文学作家ですが、大学の教授で文化人類学者です。

異世界のファンタジーの作品を多く手掛けていますので、肩書きがまさか児童文学作家だとは思いもしませんでした。

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なぜ時代劇は滅びるのか

私は、地デジ化以降、テレビをほとんど見なくなった。面白いテレビがなくなった。面白くもないのにバカ騒ぎをしているバラエティしかないテレビなどなんの魅力もない。ニュースとNHKスペシャルのようなドキュメンタリーや教育テレビの教養番組さえあればそれでよいと思っている。

20代の頃、トレンディドラマがはやっていた。でも私は時代劇が大好きだった。あの頃は、毎日どこかのチャンネルで時代劇をやっていた。ワンパターンでもあったが、よく見ていると現代社会の事件を風刺しているような物語があって、古いともなんとも思わなかった。

しかし、面白い時代劇は面白くもない長時間のバラエティに駆逐されてしまった。よく見ていたNHKの時代劇でさえ、放送時間を転々と変えてとうとうBSに引っ越し見ることができなくなった(最近、また地上波に戻ってきたようであるが)。そして、私の中の順位では低位にあった水戸黄門でさえも終了してしまった。

私の時代劇の原点は保育園のころ、夕方の再放送でやっていた「遠山の金さん」だ。中村梅之助がやっていた。丸顔の金さんだ。大江戸捜査網なんかも面白かった。色々みたがやはり役者が変わっても「遠山の金さん」が好きだった。最近再放送でみてやっぱり、いいなと思うのは中村吉右衛門の「鬼平犯科帳」である。少し暗いトーンで盗賊の悲哀、長谷川平蔵の人情、江戸の情緒というか雰囲気。私はエンディングのジプシーキングのギターが異質であるはずなのに、江戸の情緒と結びついて、いつも余韻に浸っていた。

とはいうものの、たまにスペシャルのようにやっているテレビの時代劇をみると学芸会のように見えてしかたがない。地デジ化になって、クリアになりすぎ妙に明るい画面では雰囲気が出ない。その点、NHKの大河ドラマの「龍馬伝」の汚れた雰囲気は新しい時代劇の映像を感じた。力強く迫力もあった。

前置きが長くなったが、先日、書店で手に取った本がある。

「なぜ時代劇は滅びるのか」(春日太一・新潮新書)

帯に「作家 和田竜氏も驚愕! この毒舌!やり玉に挙げられた人たちが気の毒になるほどである」というセンセーショナルな宣伝文句が書いてあった。でも、読んでみるとこれは誇張表現である。全く毒舌でもなんでもない。事実である。私はこの本を読んで現在の時代劇の置かれた状況がよくわかった。時代劇が廃れていった過程を如実に解説している。そして私の代弁もしてくれている。

私が時代劇をよく見ていた20代は時代劇が一時期的に持ち直した時期であることを初めて知った。当時でも固定観念として時代劇は高齢者向きで古く臭いという風潮はあった。すでに述べたように私は、現代の問題を江戸を舞台としてドラマ化し風刺などをしていると思って見ていた。

この本でも筆者は同様の主張をしていた。さらに「時代劇はファンタジー」と述べている。そうなのだ。SF映画が、現在の延長線にある問題を未来という舞台で表現しているのと同様に、過去の世界を舞台にして表現していると思えば大差はないのである。だから忍者がガマに化けたってよいのだ。剣客があり得ない剣法を使っても許される。その世界観に違和感なく引き込んでくれれば一大エンターテイメントなのだ。
しかし、そんな楽しみ方が減っているのも事実だ。時代劇に史実への忠実を求める声が強くなってしまって、面白くなくなるというのも事実。武士らしい身のこなしができる人、時代劇を作れる人、理解できる人が減っているというのも事実なのだと思う。しかも、視聴率という数字で時代劇が劣化し風前の灯となている。

現在、地上波で残っている最後の砦とも言うべき、大河ドラマの酷評が最終章で書かれている。確かに劣化は甚だしい。物語が軽いと感じていたところでこの批評を読んで納得した。確かに酷評だが的を射ている。期待するからこその酷評だ。指摘のあるように「利家とまつ」など妻が評定の場に出て行くなどというのも考えられない。また、昨今の主役となる女性は周りが老けても若いままという指摘もいいえて妙だ。

大河ドラマは人生の浮き沈み、苦悩を見せてくれる人生ドラマだ。でも今は大河はそうはなっていないものが多い。

私が大河ドラマを一生懸命見ていたのは、学生時代にやっていた中村吉右衛門が弁慶を演じた「武蔵坊弁慶」。そして今やハリウッドスターとなった渡辺謙の伊達正宗だ。確かにどちらも苦悩や悲哀やそんな人生の浮き沈みみたいな人生に心を打たれていたというのは事実だ。それと比べると今の大河は薄っぺらい学芸会の印象を拭えないところがある。

筆者の辛辣ともいえるような指摘は、大河ドラマ復活へのエールであると私は思う。関係者の反省を求めるとともに、重厚なドラマを見せて欲しいという筆者の愛を感じる。

骨のある時代劇の復活を切に願う。

(2014.9.18)

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「月刊大和路ならら」定期購読

Dscn5082 薬師寺に参拝したときに、立ち寄った喫茶店に「月刊大和路 ならら」が置いてありました。奈良にはこのような地域限定の本がたくさんあります。

コーヒーを飲みながらぱらぱらとこの情報誌を眺めました。奈良のお寺や仏像、風景、行事など、ローカルな情報が満載です。全体的に落ち着いた雰囲気で、とてもまとまった文化情報誌です。

Dscn5085 1月号の特集は「新春を寿ぐ奈良大茶会」です。お茶に関する情報が満載です。奈良のお寺ではお茶会が催されます。また、お茶の産地も奈良市内にあります。また、茶道で使う茶筅の全国のシェアのトップは奈良県生駒市の高山という地域で生産されるものです。奈良は知る人ぞ知るお茶の文化が根付いた土地なのです。

Dscn5086 この号では茶筅の職人さんへのインタビューや作る工程など結構なボリュームの記事が掲載されていました。とても興味深いものでした。

奈良の魅力は、同じ古都でも京都のような華美ではないどことなく寂れた雰囲気です。そして、お寺と田園風景。京都とは違う古都の魅力的なものがたくさんあるように、思えます。

私はもっと読んでみたくなり、年間購読をすることにしました。今年一年、毎月届くのがとても楽しみです。

月刊大和路ならら(地域情報ネットワーク株式会社)
http://www.narara.co.jp/
定期購読(1年間/送料込)/4800円

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氷壁

井上靖の「氷壁」を読みました。

この作品は、NHK第二放送のカルチャーラジオ「ラジオアーカイブス」で氷壁の朗読と解説を井上靖自身が語っているのを聞いて知りました。

井上 靖: 氷壁 (新潮文庫)

井上 靖: 氷壁 (新潮文庫)

とてもドラマチックで、スケールの大きな物語だと思いました。

実際に読んでみると、物語の中に、ぐいぐいと引き込まれる久しぶりにも白い小説でした。読んでいて頭の中には映像が広がります。映画化やドラマ化されているというのは頷けます。

この物語は、実際に起こった「ナイロン・ザイル事件」を題材にしたフィクションです。

主人公とその友人は優秀な登山家。その2人が冬の前穂高の難所の岩壁の登攀を試みる。その最中に友人は転落。ザイルで繋がれた主人公はその衝撃に耐えようとピッケルにしがみついたが衝撃はこなかった。麻ザイルよりも軽量で強いとされるナイロンザイルが衝撃もなく切れたのだ。

この事件で、主人公の人生は大きく変化する。雑踏、恋愛、人間関係が渦巻く都会と抜けるように美しく、そして厳しい大自然とを対比させ物語は展開していきます。

「氷壁」は私が生まれる前、昭和31年11月から32年8月に書けて朝日新聞に新聞小説として連載されていました。少し古い言い回しがありましたが、あまり古さを感じませんでした。ですから、物語の鍵となる33歳の女性が大正14年生まれというのを読んだ時に一瞬、誰の話をしているのか、わからなくなりました。

当時はテレビも普及しておらず、ましてや携帯電話などない時代です。固定電話もない家があった頃です。人々はよく連絡をせずに直接家まで行きますし、新聞社に相手先の住所を聞けば答えてくれます。仕事の途中によく抜け出して喫茶店など行きます。上司は人情派。怒るがとても暖かい。古きよき時代という感じです。

井上靖の文体が読みやすく、物語の緻密な構成が心地よい作品でした。登場人物の全ての立場に感情移入して読めました。だからこそ、読後感が清々しくもある一方でとてもやるせない思いになりました。


ラジオアーカイブスの解説から聞き書き。

昭和31年11月から32年8月に書けて朝日新聞に連載。
実際にあったナイロンザイル事件を題材。
この事件に恋愛を絡めたフィクション。
当時、女子学生の間で人気があった

昭和25年「闘牛」と「猟銃」で芥川賞
この時期は、新聞小説の全盛期。
まだ、テレビが普及していない時代。娯楽として貢献。

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「兎の眼」を久しぶりに読みました

学生の頃、灰谷健次郎の小説が好きでした。小説というよりも児童文学なのかもしれません。灰谷氏の作品は氏が小学校の教師だったという経歴から先生と生徒を描いた物が多くあります。その作品に登場する子供達の生き生きとした様子はどこか懐かしい感じがします。子供が持つものすごいエネルギーが読者に伝わってきます。けんかをし、年下の子をかばい、馬鹿な悪戯をする。時代としては昭和30年代か。私が子供の頃よりも少し前。街の中に土埃が舞っているような街で、生きる子供達。そしてそんな子供達を暖かく見守り、まっすぐに育てようとする教師。勉強よりも学校では人間性をという親。人間関係がとても濃密な時代。
底辺とも言える過酷な職場で、働く人々。様々な人生の苦痛を背負いながら懸命に生きています。

灰谷 健次郎: 兎の眼 (角川文庫)谷 健次郎: 兎の眼 (角川文庫)

何年かぶりでこの小説を読み、その世界に引き込まれ、遅読の私は久しぶりに一気に読み切りました。今の時代、ここに出てくるようなことをしたら、おそらくよってたかって叩かれることでしょう。舞台が大阪です。きっと知事から「だめ教師」のレッテルを貼られてしまうのは間違いありません。

しかし、この小説に登場する足立先生は、多くを語りませんが貧困の中で苦労をし、心に傷を持ちつつ、同じような境遇の子供達を暖かく見つめます。そして、同じ志を持つ若く熱心な先生達。学力一辺倒で周囲からの締め付けでがんじがらめとなっている今の教育現場からみるとなんとおおらかで、ゆとりがあり子供に寄り添っていたのでしょうか。

貧困の中でも明るく懸命に生きている子供達にとても勇気づけられます。今同じ境遇の子供がクラスにいたら、どうなるでしょうか。心が寒くなります。

この作品のタイトル。兎の眼。この物語には兎は登場しません。これは西大寺の仏像、善財童子の眼を主人公の小谷先生が「兎の眼」と表現していることにあります。小谷先生は自分の目指す生き方をこの仏像に誓っています。それは、何となく生きてきた小谷先生が、教師として子供達と真剣に向かいあう決意でもあります。そのことが小谷先生の旦那さんとのすれ違いの原因にもなっていきます。

様々な人間模様を描き、作品世界での人間関係が多面的に浮かび上がります。人それぞれ様々な問題を抱えています。他人から見える「その人」は、「その人」の一面でしかなく、様々な苦悩を抱えている。そんなことが描かれています。

物語は、ゴミ処理場の移転に伴いそこに住む小学生達が強制的に危険な場所に引っ越しさせられるという問題が起こりました。この事で反対運動が先生達の教育について共感する親たちの働きにより一歩前進したというところで終わります。先生や子供達の歓びと次段階への緊張の中で終わるのです。結局子供達がどうなったのか、小谷先生の家庭がどうなったのかとか何も語られずに終わります。子供達は転校することなく良い結果であってほしいと思います。小谷先生の旦那さんとの生き方の違いが明確になっていて、もしかしたら離婚してしまったかもしれません。

明確には語られていませんが、小説の読後感はとても爽快です。心が落ち込んだときなどに灰谷氏の作品を読むと何故か力をもらうことができます。

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終戦日記(昭和20年8月7~8日)

 大佛氏は8月7日の時点で知人の情報からほぼ正確な情報を得ている。8日に漸く新聞の朝刊に大本営発表が載る。「例の如く簡略なもので、「損害若干」」のみで革命的新兵器が登場したことを国民に伏せているという。
大佛氏は「本土作戦を呼号し、国民を奴隷にして穴ばかり掘っている軍人たちはこれにどう答えるか見ものである。部外の者を敵視蔑視して来たことの結果がこうも鮮やかに現れて、無感動でいるのが軍人なのである。」と軍に対して不満を述べている。
このころになると、敵機の進入に対しても日本軍は無抵抗。市民は布団を物干し竿にかけて機銃弾を防ぐという防御を行っている。

8月7日
雲一つなく晴れ、燃えるような空あり。10時近く警報発令。昨夕から水道がとまって今も出ぬ。P51三〇機が分散小編隊となり差が相模湾を旋回中と有り10時36分。布団を洗濯干棹にかけて機銃弾の障壁とする。敵機が悠々としている位置が判明していても味方は何もしない。そして国民はその無抵抗ぶりに諦従するように慣らされている。

来客から広島に敵僅2機、投下した爆弾が原子爆弾らしく2発で20万の死傷者。死者12万というが呉からの電話のことで、詳細は不明。トルウマンがそれについてラジオで成功を発表した。10日か13日に東京に用いるというのである。他の外電は独逸の発表に依ると云っているが、米国側では1941年からの研究が結実したと発表している。
大きな事件で閣議か重臣会議が急遽催されたが結論を見なかったそうである。次の効果を見てからのことに成るのだろうが、ロッキー山研究所のウラニュウムが物に成ったのだとしたら由々しいことで、戦争が世界からなくなるかも知れぬような劃期的の事件である。空想的な科学小説が現実のものとなり木っ端の如くこの命を破るわけであった。

別の知人に電話をかけて確かめるがよく知らなかった。火炎が1粁上り2キロ離れていて人が飛ぶくらいの威力が有る物という程度で投下せられたのは飛行場だという。どちらが真実かはわからぬが革命的に有力なものだということは疑えぬ。

自分たちの失敗を棚に上げ、本土作戦を呼号し、国民を奴隷にして穴ばかり掘っている軍人たちはこれにどう答えるか見ものである。部外の者を敵視蔑視して来たことの結果がこうも鮮やかに現れて、無感動でいるのが軍人なのである。話が真実ならば、国民は罪なく彼らとともに心中するのである。くやしいと思うのは自分の仕事がこれからだということである。

8月8日
広島爆撃に関する大本営発表が朝刊に出ている。例の如く簡略なもので、「損害若干」である。今度の戦争でV一号とは比較にならぬ革命的新兵器の出現だということは国民には不明のまま置かれるのである。来客(雑誌社)から他の作家の話、本の疎開の件で記者が談話を取りにいったら「僕は死ぬ覚悟をきめている。が、今の軍人や役人と一緒に死ぬのだと思うと如何にも悔しい」と云ったという。

配給を日割りにした。4人で米が一日三合半、馬鈴薯数個に大豆。

正午のラジオも広島に触れず、小型機の持って来るロケット爆弾がそうたいした威力のあるものでないという説明。警戒は必要だが安心しろというわけである。
過日北鎌倉で電車が機銃掃射された時、保土ヶ谷トンネルを出たところで小型爆弾を落とされ十数名かの死者あり。昨朝浅川近くで銃撃17名の死者を出したと知人の話。
別の知人は大阪からの帰り御油で汽車5時間立ち往生、浜松が艦砲射撃を受けていると知る。今後はもっとひどくなりほとんど移動が不可能となるだろう。

おまけに1機1弾で10万人の死傷者が簡単に出ることになったのだから寧ろ壮大な時代である。広島へ専門の技師が急行したというが、また東海道が漸く通じたとはいうものの状況しだいで無事につくかいつつくかという話で緩慢なことである。

この家では敵機が撒いた電波攪乱の錫の紙片を台所の蠅よけにつるした。光の反射が壁に水の影のように動いている。その下で平素の如く暮らしている。外の世界に向かっては腹を立て続けだが家の中は平和である。

新型爆弾に対する注意の放送があった。一機来ても必ず壕に入ること、高熱を発するから躯を露出させるな、掩蓋が必要だがない場合は布団でも毛布でもかぶること。はなはだ平凡。
夕方から60機ばかりのB29が入って来て帝都北部から東方に抜けた。どこをやったのかは例によって不明。

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終戦日記(昭和20年8月6日)

 昨日、8月6日は広島の原爆忌。テレビでも原爆についての番組が多くなる季節。毎日新聞では、年間を通じて原爆についての記事を掲載しているがやはりこの時期は多い。

 さて、この8月6日。鎌倉の大佛氏はどのように過ごしていたのでしょうか。

 当時、情報が統制され、一般国民に入ってくる情報は国家のフィルターを通ったもの、さらには遅れて詳細がわかるという状況。(戦艦大和が沖縄沖で撃沈したことを8月6日の時点で耳にしている。大和が沈んだのは4月7日。翌7日の新聞には巨大戦艦を特攻させた司令官の昇進を知らせる新聞記事。艦名は当時の新聞のこと伏せられており、大佛氏は大和かと推測している。)

 大佛氏の人脈から伝わる情報は世間よりも早いが原爆についての詳細は8月6日の時点ではまだ入手していない。
 関西からの来客に関西の状況を聞いていることを記録している。大阪大空襲の時、燃えかすが生駒山を越えて奈良に降ってくるという話は、以前に実際に見た人から聞いたことがある。夜中でも西の空が赤々としていたそうだ。

(この記事は抜粋、要約しています。)

8月6日
・朝に敵小型機編隊が入ってきて関東北部に警報。
・来客に奈良の近頃の状況聞く。
 三月堂は解体疎開。仏像を浄瑠璃寺など山陰の寺に疎開。
 桃の産地の平畑で買い出しに来た闇屋を殺して金を奪った事件。犯人は金を持っても食い物が手に入らず、宿も泊めなかったという。
 鹿の盗殺がはやっている鹿を捕らえて畑を荒らしたと春日大社に言うと責任逃れのため神社の鹿ではないという。鹿が3分の1に減。
 大阪の火事が奈良にも煙吹きつけ日の色が変わる。燃えた紙のたぐいが盛んに降る。
 
・出版社が解散。空襲により紙のストックを焼いたため。
・奈良から来た人、戦局に無知。地方に住む人の代表的な考えか。今やめたら大変なことになるという。2.26のごとく重臣を排撃し、青年将校のみで飽くまで闘おうと企てる革新暴動が起こるのではないか、という。宣伝せられた本土作戦に希望を持ちしきりと「新兵器」に期待をかけている。

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